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小さな好奇心も拾う

コロナ感染拡大、グローバル経済、自然との共存、の関係性

地球規模の異常気象、オーストラリアの大規模な山火事、新型ウィルスコロナ発生、次々と大きな自然災害が起きるのは、なぜ?

自然を破壊し続けた人間へのツケ、罰と捉えるのが妥当。

そんなことはとっくに気づいていて、自然を優先にする前に「経済発展」の壁がある。それをどう乗り越えるのかが見えないだけだ。

では、待ったなしで、我々は何をすればいいのだろう。

 

東京オリンピックの延期、東京のロックダウンをポジティブに捉える

 

先進国があっという間にロックダウンし、東京オリンピックの延期も決定。そして混乱を極めていくグローバル経済。コロナを境に「ビフォーコロナ」「アフターコロナ」とはっきり分かれるほど、生活が一変しそうなざわつきが止まらない。

 

今週末は不要不急の外出は控えなければならない…半ば強制的に家ですごすことになる。まるで、この事態をどう受け止めるのかを腰を落ち着けて考える機会を、ひとりひとりに、与えられたよう。今までの人生や生き方、内観するには絶好の良い機会。本、映画、動画、興味あるものを徹底的に探究できる!

 

ただ、自然と完全に乖離してしまった現代に生きる我々は、急に自然と共存・共生する点においては見当がつかない。経済の話はとりあえず置いといても、そもそも、自然との共生、とは一体どういうことなのか、そして自然との共生は何を意味するのか、実感として分からない。

 

自然との共生とは… ドキュメンタリー映画「ビッグ・リトル・ファーム」

 

コロナ感染を懸念した自粛ムードの中、映画館で新作を観た。
緊張がゆるみ、春の兆しに誘われ、嬉々として家から出ていた。

 

アカデミー賞の発表後で、観たい映画も比較的多く、この数日で洋画・邦画あわせて4本を鑑賞。

その中で平日にもかかわらず一番、観客が入っていたのはドキュメンタリー映画「ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方」だ。こんなに観客が入っているとは、驚きだった。

自然をおろそかにしたツケが、今、回ってきているという自覚が人々にはっきりと芽生えている証拠に思えた。

 

このドキュメンタリーは、アメリカ人の若い夫婦が砂漠化した大地をゼロから農場に作り上げる8年間の記録。

農薬は一切使わない、自然の持つ力にまかせて農場を作り上げることが彼らの目的だった。それは過酷な挑戦。ましてや命を扱う仕事だ。当然ながら試練の数々で思うようには進まない。しかし、命の奇跡ともいえるような、すべてが意味ある生命体となって農場が息づいてくる。その光景、ありようが、息をのむほどの美しい映像で我々にせまってくる。

 

日本ではずいぶん前から雑草もとらず自然のありのままのスタイルで畑を育てる自然農法に注目が集まり、実際、取り入れている農家も多い。それをテーマに取り扱っている日本映画・ドキュメンタリーも公開されている。

 

本作が世界の映画祭でたくさんの映画賞をとっているのは、合理主義のあのアメリカ人が率先して自然との共生・共存を根ざす農場を作ったところに映画としての意義が大きいようだ。

 

 

 

同時期公開・映画「Fukushima 50」も実はテーマは同じ

 

あの日、福島第一原発で、何が起こったのか、を実話をもとに詳細に描いたもの。現場の技術者たちは、決死の覚悟で最後の最後まで闘いつづけたーー、

そんな極限状態でふと疑問がうかぶ。
『どうしてこんななってしまったんだ?』
『人間はどこで何を間違えてしまったのか』と。

そして、おのずとその答えが見えてくる…

人間は自然とかけ離れすぎた
人間が科学の進歩と発展とともに自然を支配しようとした結果、こんな人災を引き起こした

詳細:cineカエル「Fukushima 50」

 

宮崎駿のジブリ作品もしかり。
自然との乖離、自然との共存をひとつのテーマとして描き続けている。

あれだけ人気を博したジブリ作品。大ヒットしたのはなぜか?
自然と共生して今があることを、何千年前から織りなしてきた我々のDNAが、本能として知っているのだろう。

 

行動に移したいが何をする? これが一番難しい

 

目指すは『過剰な経済至上主義からの脱却と自然との共生』

具体的には、改めて、過剰な供給をつい求めてしまう欲を見つめる俯瞰してみる
なぜ欲しいのか。それは本当か?どうしてそんな欲求が生まれるのか?

そして自然との共存・共生のために、自分は何ができるか?

完全に自給自足・里山の暮らしに戻る、にはあまり賛成はしない。完全に否定するのではなく、うまく科学技術や経済を取り入れる。一度知ってしまった便利さから逆戻りはできないだろう。有機野菜に固執したり、自然、に極端にとらわれると、考え方がかたよってしまう。

 

自然との共生と経済・資本主義との折り合いをつけてゆく、そのバランスをうまくとっていく。言葉ではたやすいけれど、具体的に何をすればいいのか?我々に何ができるだろう?

 

少しの変化が大きな変化を生む、ことを信じて、実践や行動を日常にこそ取り入れたい。理想はその行動が特別ではなく、自然に習慣となり、その積み重ねにより持続可能を実感していくーー。

たとえば、以下の3つはどうだろう。

ポイント

1.省エネ対策
電力の無駄遣いをふせぐ⇒できるだけ早寝早起きを心がける

2.掃除(断捨離)
捨てる意識 ⇒ 無駄なもの、大切なものが見えてくる ⇒ 物の整理整頓は心も整理整頓される

3.食品ロス削減を意識する
余計な物を買わない、食べない ⇒ 少々高くても有機野菜など体にいいものを食べるようにする

この3つを実践していけば、心身ともに健康・健全にしかならない。それは現代人にとって手に入るようでなかなか手に入らない、人としてごく当たり前の幸せのはず…

今回の外出自粛をきっかけに自分なりに日常でできる変化を考えて実践してみてほしい。

なかなか行動にするのは難しいなら、一番手っ取り早いのは、心の持ちよう、意識を変える、だけでもいい。意識が変われば自然と行動がついてくるもの。

たとえば、

競争社会がもたらす「自分さえ良ければいい」という考え方を捨てる。組織でながく働いている人は、染みついてて難しいかもしれない。特に40代から50代の働きざかりの男性。そして男性はそういうものだと求める同年代の女性たちもしかり。

他人や自然があって自分がいるという縁(仏教哲学)、関係性、その関係性がもたらす豊かさは、本来誰にでも備わっていて、それがごく当前であることに気づかされる。地球というひとつの生命体で、共存している全体性・ONENESSという世界観に気づきさえすれば「助け合う」という意識は自然と芽生える。

自然を破壊し支配しようとしたツケを実感している我々。時代は変わり始めた。変化はコロナで加速するかもしれない。これからは『競争』ではなく『協調・共生』が求められるだろう。

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