『人生100年時代、どう生きる?~50歳からのライフデザイン~』のシリーズ3回目です。
その1は、時代を知る
その3では、「「個」から「全体」へ~原点回帰 ~」についてお伝えします。これからの生き方をデザインする際、ぜひ取り入れてほしい❝ものの見方❞についてです。
コロナ、大型台風、長い梅雨、40度超の猛暑、山火事など、異常気象、疫病、天災すべては人類の自然破壊が原因と言われています。
なぜ、こんなことになったのでしょうか?
ひとことで言うと、人間のおごりですよね。
そのおごりがなぜ出てきたのでしょうか?
その理由、歴史を振り返ると見えてくるもの、ヒントがあります。
それは、原点回帰です。
この日本人にはなじみ深い感性を思い出し、基本にすえれば、これからの時代が生きやすくなります。
なぜなら時代の流れを味方にできるからです。
目次
近代化と科学万能主義
日本は、明治維新以降、科学技術の進歩、敗戦から、日本人が培ってきた思想、哲学、世界観を葬り去り、近代化へまい進します。資本主義、経済至上主義、成果主義をかかげ、物質的豊かさを手に入れました。
その結果、それぞれが「個」として分断が進みます。
近代以前は、日本人は近隣者とのつながりも深く、もっと共存していました。
何より自然と共生していました。
それは東洋哲学の代表である仏教、そして神道にもはっきりと示されています…
日本人にとって、仏教や神道の存在は日常に溶け込んでいます。
無神論者だ、と主張される方も多いとは思いますが、少なくともお盆や正月には、神様、仏様に向かって手を合わせて祈りませんか?
大きな神社、伊勢神宮や明治神宮にも1度ぐらい行ったことがあるでしょう。
そこでは、杜と呼ばれる大自然と一体となってたたずんでおり、鳥居をくぐれば、静謐さ、神々しさ、自然への畏敬の念を感じます。
一方、西洋哲学として大きな影響があるキリスト教は、神(イエス・キリスト)を頂点にしたヒエラルキーを作りました。
完全に人と自然を分離し、自然を人の下に置きます。これは、自然を人間が支配・征服する、ことを示唆します。この構造を良しとする考えが基となり近代化が発展しました。
そして今、
近代化という行き過ぎた自然破壊の末に、異常気象、疫病、天災が発生しています。
日本人らしい原点回帰とは?
日本人がそもそも持っている感性は何か分かりますか?
それは自然との共存は当然で「全体性」という感覚です。
その「全体性」の感覚を思い出せば、古来から受け継いでいるDNAが、うずき始め、「この世のすべて」「宇宙全体」と無意識に、共感、共震するはずなんです。
その「全体性」とは仏教でいうと「空」であり、神道では「八百万の神」に象徴され、量子力学では「素粒子の二重性(粒であり波である)」、最近では「ワンネス」と呼ばれているものです。
ところで仏教の「全体性」、「空」を説明すると…
大乗仏教の根本真理でもろもろの事物は様々な原因や条件(縁)が寄り集まって成り立っており固定的実体がないこと
引用 『鼎談 般若心経で救われるか―空の読み方、生き方 –』
玄侑 宗久 荒 了寛 太田 保世 里文出版
全体性とは…
・無常に変化しつつ無限の関係性の中にありいつだって絶えざる「創造」の場
・そこでは我々の成長に伴って確立される「個」も錯覚であったと自覚
・自立した「個」を措定していたことこそが「迷い」「苦しみ」の元つまり、絶えざる変化と無限の関係性が「縁起」として実感され、あらゆる物質も現象も「空」という「全体性」に溶け込んだ「個」ならざるものとして感じる~
あらゆる現象は、「空」(自性がない)であるから「縁起」する。また「空」であるから「因果」も「共時性」も存在する。
引用 現代語訳『般若心経』 玄侑宗久 ちくま新書
つまり、この世のすべては「縁」「つながり」でなりたっている、ということ。あくまで「個」はこの網の目のようなつながりの全体性の中にとけこんでいるためそもそも「個」としては存在できない。
経済至上主義・成果主義による競争社会では成績で評価される結果、「自分さえよければ良い」という考え方がまかり通ってしまいました。
同時に人間さえ便利で都合よければ、自然をガンガン破壊したのです…
しかし、便利で住み心地がよいはずが、この異常気象でどんどん住みにくくなっていませんか?
コロナ、猛暑、熱中病、豪雨、と次から次へと天災が起こり、まるで、❝人類滅亡❞が始まったかのよう…
「全体性」「空」から察すれば、自然破壊すれば人類が滅亡するのは至極当然。
❝お陰様❞の言葉が示す通り、全体性の感性、縁起で成り立つ世界観、その感覚を思い出すことを、コロナを通じて身をもって、教えられているようです。
この世の95%は見えない世界がしめている⁈
実はこの「全体性」には見えないものが圧倒的に主体であると考えられています。
その理由は、量子力学「素粒子の二重性」です。
この世のあらゆるものの最小単位❝素粒子❞を扱う量子力学では、素粒子の特徴のひとつとして二重性を挙げています。
量子力学については、本サイト「量子力学について【本音で生きるには…】」をご覧ください。
二重性とは「素粒子は、粒(現実)でもあり波動(エネルギー)でもある」
その割合は、粒が5%、波動が95%、になります。
つまり、目に見える形となって現れる割合が5%。残りの95%すべては、目には見えないエネルギーになります。
ちなみに、意識もバイオフォトンという素粒子です。
拡大解釈すると
この世で目に見えないものの方が、圧倒的に主体であり、目に見える現実はゴミみたいに小さい、ということになります。
「目に見えるものがすべて」という考えは疑わしく、その逆の「目に見えないものがすべて」と捉える方が量子力学的にはただしいのです。
この割合、実は、顕在意識と潜在意識の割合と同じなんです。
顕在意識は5%、潜在意識が95%。
さらに飛躍すると、
科学が進歩し、遺伝子暗号の解読が始まりました。解読は命の謎にせまることを意味します。
現段階で、
解読できた部分 5% 解読不能部分 95%
割合が一致します…
この数字から目に見えない事象を、単に見えないから胡散臭いと頭から否定するのは、むしろナンセンスだと思いませんか?
言い方を変えると、実は損している、と…
なぜなら、現実だけで判断し、決めつけているからです。
失敗、離婚、失職、鬱になるぐらい悩んでも大したことではないのです。なぜなら、それらの事象はたった5%の結果にすぎず、別の潜在性、ポテンシャル、可能性は目に見えていない95%に託されているんですから。
つまり、ポジティブに、幸せに生きようと思えば、今この瞬間から変えられる、わけです。
やや話がそれました…
ところで、
心理学者のジュリアン・ジェインズは、生涯でたった1冊だけ本を書きました。
1976年に発行『神々の沈黙』は、内容がセンセーショナルで今でも注目を集めています。
大昔の人は当たり前のように理知の心とそれを越えたものを同時に感じられる民族だった
と述べています。
『それを越えたもの』とは、人智を越えたもの、つまり「直感」「霊感」と捉えれば分かりやすいでしょう。
ただ、現代人は、その「直感」をなかなか信じません。なぜなら論理的ではないから。
科学が発達して科学万能主義がこの世界を凌駕した結果です。
人智を越えたものには「ご縁」も含まれます。
あの時、あの人に出会えなかったら今の自分はない。出会いはまさしく「ご縁」であり、それは人智を越えている。出会いは人智を越える世界で動いている
引用 『神(サムシング・グレート)と見えない世界』矢作直樹 村上和雄
また、遺伝子の配列や宇宙現象の数式、定式にも、それは現れます。
ちょっとの狂いもない見事なまで美しい配列や数式が、一体どうやって作られたのか、は解明できていません。
高名な科学者や研究者ほど❝人智を越えたものの存在❞を認めざるを得ないとよく言われます。
まとめ
近代化により、科学技術が進歩し、生活の便利さと引き換えに自然破壊が進み、異常気象を招くことになりました。
自然破壊による人類の影響を鑑みると、
従来通りの、自分たちだけの目先の利益を追及していくやり方は、もはや通用しません。
自然を含め全体性のつながりの中にとけこんでいる自分という観点、
言い方を変えると
ワンネス(すべてはひとつ)、「お蔭様」を意識すれば、もっと大きな広い視点で、ものごとを見るようになります。
一方、目の見える世界だけにこだわれば、どうしても、他人、自然、とは切り離された「個」の自分しか見えてきません。
想定外にネガティブな現実に直面したとき、現実だけに捉われれば落ち込むだけです。
その裏に隠れている意味やメッセージ、95%の見えていない可能性、いつでも方向転換できるという本質を気づけなくなります。
ダライラマの言葉
「仏教は心のサイエンス」アインシュタインの言葉
「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」
さて、3回にわたり、『人生100年時代、どう生きる?~50歳からのライフデザイン~』をお届けしました。
生きているこの時代・社会を知り、「自分」「個」に陥りがちなものの見方を少しずつ広げていけば、自ずとどの方向へすすめばいいかヒントが見えてきます。
参考書