第七回 「“竹紙&自主上映会という新境地を見つけた部長さん”」2018年3月2日

ゲスト:西村修 中越パルプ工業株式会社 営業企画部長

今回は、紙のエキスパートをお迎えしました。特に日本の竹100%を原料にした竹紙をブランディングの核に、新境地を開拓中。そして本業のかたわらドキュメンタリー映画の市民上映会をなんと銀座で4年以上続けていらっしゃいます。なぜ、会社で頼まれもしないことを仕事にしたのか、また市民上映会を始めたきっかけ、上映会を実施し気づいたことなど、お話をうかがいました。

中越パルプ工業株式会社について

紙パルプメーカーであらゆる紙製品のおおもとの原紙(何トンもするロール状態)を年間80万トン製造販売。
原紙はその後、紙の商社、卸商を通じて、パッケージや印刷物などの紙商品になる。紙の商社が主な取引先の企業間取引の会社。
紙は木から作られ、木の特徴や配合率を使い分けて機能的な紙をつくる。、できた繊維をペーパーマシンで紙に抄く。
木は大きく2種類ある。
■広葉樹(ブナ、ナラなど)繊維が短い→きめが細かいので印刷に向く
■針葉樹(松、杉など)繊維が長い→強い紙のため頑丈な袋などに使われる
取引先の用途にあわせたロール幅た、規格に沿った大きな寸法に断裁して、出荷する。

中学から就職まで

中学では優等生で、このままずっと優等生面で生きていくのは人格形成の中ではよくない、悪いことをしたほうがよいと悟る。
今思うと中学生でそう考えるのは早すぎた…。その結果、言い訳しながら楽な道を歩む。
高校は進学校に行ったが暗記が苦手で理系を選んだ。世界の食糧危機を救うと言い訳しながら、偏差値の低い農学部を受験。
大学は私学の農学部林学科に入学。遊んでばかりの時代だった。そのころ、360円のドルがプラザ合意により急に180円になった。
海外へ遊びにいく先駆者的な先輩を真似て、自分も海外へ個人旅行した。サラリーマンには期待することなく就職した。
製紙原料の木を買う部署に配属され国内各地を転々とすることになる。今は輸入の外材が多いが当時は国材と外材は半々。
集荷拠点となる田舎を2年ごとに転勤をくりかえす。
海外拠点がアメリカのシアトルにあり、そこで働けなければ辞めるつもりだったが、年功序列的に海外転勤。
5年半の勤務を経て、帰国すると今度は日本が窮屈に思えた。アメリカの社会は大人の国だった。
シアトルから東京本社へ転勤になり、その2年後、社長秘書室に配属される。
相変わらず会社の体質があわず40代に本気で退社を考える。
妻は理解してくれたが、ただ辞めるのでなく好きなことをしてやめようと決める。

新規事業を勝手にスタート

この会社に足りないことは何かを考えた結果、ブランディングを思いつき、通常業務以外にブランディング業務をすると勝手に宣言する。
するとタイミングよく、転機がまいこむ。横浜開国150周年イベント「Y150」だ。
パビリオンに使った大量の横浜の竹を廃棄するのはもったいないので紙にできないか、主催者側から会社に相談がくる。
引き受けたところ、イベント出展の誘いまで会社として引き受けるが、誰も経験がない余計な仕事のため社員は皆知らん顔。
困っていた担当役員である上司を見かねて、自ら手を挙げた。相変わらず社員は口は出しても手をださない中、孤軍奮闘して成功を納める。
従来からある仕事しかできない社員に比べ、誰もしたことの無い仕事ができる自分に「俺って結構できるじゃん!」と開眼。
上司を助けたことで、社内で理解されないブランディング活動にも、助けた上司は味方になった。
命令された仕事でなく、自分で作り出した仕事なので、質は絶対に下げられない。
五里霧中だったが、社外の知らない人が次々と助けてくれた。
一生懸命やっていると助けてくれる人が現れる。熱量に人が集まってくれる。
この経験により自分も一生懸命な人には助けることにしている。こんな働き方は大変だが幸せであると。
40代半ばにして、初めて仕事の面白さを知ることになった。

ブランディングと竹紙について

ブランディングにあたって中越パルプにしかないものや本質をさぐるのだが、見当たらない。
同業他社と異なり当社だけが日本の竹で紙を作っていたことは知っていたので、掘り下げたところ素敵なストーリーを見つけた。
地域では竹林整備で毎年伐採される竹の処分に困っていた。竹を製紙原料にできないかと相談されるが、紙は基本的に木で作られるので
「竹ではできません」と言えば話は終わりになる。
しかし当時の木材チップ集荷担当者は会社に頼まれもせず、竹を製紙原料にすることで地域社会にも役立つ可能性を探った。
目の前の社会的課題を、人のせいにしないで、自分の仕事で解決しよういう先進的なビジネスモデルだ。
日本の竹を原料にした紙を作っているのは自社だけ。これを核にブランディングを進め、認知向上のためアワード戦略を実践。
すると数々の大きな賞を受賞。受賞理由は厄介者の竹を紙の原料として2万トンの竹を使い経済をまわす、
紙の原料として買い続ける“持続可能性”を実現した。
会社ぐるみじゃなく、一担当者が地域のために始めた事業、つまり、誰でも自分の仕事を通じて社会を良くすることができることを、
自分が言いふらすことで、一人でも共感して行動する人が生まれるならば、自分にも社会的な役割があると認識した。

CSRへの広がり

この取り組みに関心が集まり講演依頼が増えるうちに、企業のCSR(企業の社会的責任や社会貢献)や環境の部署にまで広がりがでてきた。
CSRは2004年に経団連から言い始め、3.11をきっかけに一般の人が社会貢献を求めるようになる。
現在、環境問題抜きで企業は成り立たない。何かしなきゃと思っていた人たちが3.11をきっかけに具体的に動き始めた。
社会貢献に積極的に動く人と動かない人と二分化されているが、会社としては社会的にCSRに重きをおかざるをえない。
投資家もCSRの企業を重視する。しかし大事なのは会社のCSRのような表面的なことではなく、一人一人が意識をもって動く人が増えること。
それで初めて社会がよくなっていく。自分の若い頃を振り返ると、紙はどこの会社で作っても同じだから、価値の低い仕事だ。
もし世の中に役立つことがあるなら、積極的に仕事するが・・・と言い訳をしていた。裏を返すと世の中に役立つことをしたかった、
それが言い訳じゃなくて今、実際できるようになると、この会社にいたことに意味があったと思える。
実ビジネスに繋がらない外部団体など門税払いする会社だが、自分がこの会社の窓口になることで、社会に貢献出来ることもあるはず。

例:竹紙灯篭(三保の松原でのイベントに使用)
A4の竹紙を作り企業のロゴや名前、学校にメッセージを入れる。
そのために竹紙を200円で買ってもらう。イベント費はその売り上げすべてでまかなっている。

ドキュメンタリー映画の上映会について

CSRの方々と交流しているうちに、多くの人の意識が良い方向に変わることを願い、社員のマインドが変わる方法を模索していた。

ある有名企業のCSRの方は、社内でドキュメンタリー上映会をやって、少しずつ同じ志を持つ仲間が増えたと教えてくれた。
その会社はコンテンツに関しては恵まれた環境にあった。自分の会社とは環境が大きく異なるが、言い訳してやらないのではなく、
とにかくやろうと行動に移す。
するとCSRに特化した雑誌の社長が、どうせやるなら、社内だけでなく一般の人をまきこんではどうか、と言ってきた。
言うのは簡単だが実行は難しいと思ったが、やはり、言い訳せずにやってみよう、と覚悟を決めた。
そんな中、ある人から社会を変えるためのワークショップに呼ばれる。
そこで、やりたいことを言わされるのだが、共感したものに対して乗っかることもできるというルールがあった。
自分は「ドキュメンタリー映画を上映してサラリーマンを変えたい」と言うと、乗っかる人が現れる。
自分に能力がなくても、能力がある人とコネクトして場さえつくれば、世の中に役立つ。
初年は、社外の有志が手伝ってくれて、年に2回の予定が9回上映することができた。
経費は会社から出るので赤字は会社が背負うが、ほんの数万円だった。さらに読売新聞などから取材を受けるなど
短期間で会社にもメリットある「社外では高く評価されている」という実績を作れた。
社員のマインドをあげるために上映を始めたが社員の参加が少ない。一方で社外のまじめで良い人が参加している。
世の中のまじめな良い人たちが、この場を求めていると分かった。
告知は雑誌オルタナのメルマガから発信できた。自分の想いを編集長に出したメールが知らないうちにメルマガに掲載され、
何万の読者に伝わった。社外スタッフはボランティアなので、メリットとしてチャレンジの場として使ってほしいと話している。
上映会では、なるべく制作サイドやテーマに関連したゲストを招いて、ドキュメンタリー映画にありがちなモヤモヤを解消させている。
映画の多くは、ドキュメンタリー映画の配給会社ユナイテッドピープルの作品を選んでいる。
こうしたドキュメンタリー映画の市民上映会は、銀座ソーシャル映画祭が先行モデルであり、上映だけでなく、
考えるきっかけ作りを全国的に広げようと市民団体設立にもユナイテッドピープルに協力し、現在107の上映団体が生まれた。

プロフィール

西村修(にしむらおさむ)

中越パルプ工業株式会社 営業企画部長。
大学卒業後、総合製紙メーカーの中越パルプ工業株式会社入社。
入社後、製紙原料である木材チップの国内材集荷拠点各地、
外材集荷拠点のひとつ米国シアトル赴任。
帰国後、同部署、秘書室長等を経て、現在の営業企画部を立ち上げる。
2009年より、同社で製造する「竹紙」の取り組みを核にブランディングし、
対外的活動を主導。エコプロダクツ大賞農林水産大臣賞、
生物多様性日本アワード優秀賞など、環境分野における数々の受賞を果たす。
社外の環境分野、CSR分野の方々と広く交流し、会社の資源を利用して
ソーシャルグッドを生み出している一方、
社内では浮いている。